14年ぶりに岐阜県の美濃へ。隣接する家の間に「うだつ」という防火壁を設け、防火壁が財力の象徴とされたことから、慣用句である「うだつが上がらない」の語源となったと言われる町並み。
ひさしぶりの美濃の町並みはよかった。重要伝統的建造物群保存地区と選定されてから年数が経ったことで、変な新しさが弱まって違和感が薄くなっていた。同時に保存地区ながらも住んでいる人の数が多く、観光地ながら学生服屋さんやお肉屋さん、魚屋さん、電気屋さんなどもあり、子どもが道路で遊んだり、自転車で友だちの家へ行く雰囲気もいい。
リトルプレスであるmurmur magazineが出した店舗がエムエム・ブックスみのにも立ち寄った。優しい色で染められた暖簾を潜って扉を開けるとこだわりの品々が並ぶ。店内も必要なところだけ改修されていて、建物が持つ時間軸を活かし、とても居心地がよかったのが印象的だった。
それから2週間ぶりに関にある円空館へ。江戸時代の僧である円空は岐阜出身で、奈良から北海道まで12万体の仏像を彫って渡り歩いた人物。その仏像が今でも5000体ほど現存しているというから驚く。
円空が若い頃に彫った仏像は繊細で柔らかく線も細い。年齢を重ねるに連れて彫りが大胆で勢いや強さが増す。円空が彫った仏像は円空仏と呼ばれ、神社だけではなく、民家にも多く残っていることから、庶民と深く関わりながら仏像を彫っていたようだった。円空館の館長さんがとても丁寧な方で展示の説明までしてくださった。
ふと展示されている像を見ながら、自分の近くにもし円空仏があったら荒々しく強い像がいいなと直感で思ってしまった。気軽に置いておけるというと失礼だけれど、繊細な仏像は恐れ多いような気がして自分が落ち着かない。
家に置き換えてみても、そうなんだろうなと思う。優しく包まれるような家。自然のエネルギー溢れる土着的な家。人へいろいろなエネルギーの与え方がある。その場所に住む人にとってプラスのエネルギーを与えられる家だったらいい。
円空館は駐車場から離れていて、円空が住職を務めた弥勒寺跡などを通り抜けたところにある。そのコンセプトがよかった。また、少しだけ離れ、木々に覆われ苔むしたところに円空のお墓もある。歪で優しい形をしたお墓には今日お供えしたと思われる緑の葉が置かれていた。